+会えてよかった+
六話


「尚希っ…くっ…」
太陽は病室から出ると、壁に頭を打ちつけるようにする。
小さく鈍い音がするほど強く打ったせいか、何が起きたのかを見に来ていた入院患者は驚いた表情をしてその場から離れていく。
「くそっ…くそっ…」
そう何度も言いながら、太陽は頭を壁に打ち続ける。
痛みは何も感じなかった。全身には絶望的な思いと、何も出来ない自分への悔しさ…その気持ちばかりで、痛みなど感じることが出来なかった。
「ちっく…しょ…ちくしょう…」
そして罪悪感も同時に感じていた。もしかしたら、自分のせいで尚希はあそこまで苦しんでいるのかも知れない…あの時に尚希を抱いて、無理をさせたから…そう思うと、どうしようもない自分への怒りで全身が震えた。
自分を傷つけないと、行き場のない怒りを抑えられなかった。
時間が経ってもなお、病室には未だ沢山の人が出入りを繰り返す。
中には新しい医療用具を持って入る看護婦もいて、その姿を見る度に太陽の頭の中にあの苦しむ尚希の姿が思い出される。
「尚希…」
大丈夫だと信じたい。医師の言葉を信じたい…
けれどあの時に見た尚希の表情は、その思いを根底から覆すものだった。
「…尚希」
太陽は近くにあった椅子に座り込み、尚希の治療が終わるのをずっと待っていた。
「くそっ…」
身体の動きは落ち着いても、胸の中にある気持ちは少しも消えることがなく、太陽は繰り返しそうつぶやいていた。


何分…何時間経ったのかわからない。
それでも太陽はずっと、尚希の病室の前に座っていた。
何度も何度も同じ言葉を繰り返し、怒りにも似た感情を自分にぶつけ続ける。
「尚希…大丈夫だよな…絶対に…」
考えてもみれば、自分は尚希の病状のことなど何も知らない。
どんな病気で、どんな具合で、今後はどうなるか…何一つとして知らなかった。
「絶対…大丈夫だよな…」
知っていたからといって、何かが変わるわけじゃない。
けれどそのことを知っていれば、もっと尚希に別のことがしてやれたかも知れない。
もしかしたら、こんなことにはならなかったかも知れない。
そう思うと、自分のことが許せなかった。
「…くそっ…」
太陽は右手に拳をつくり、まるで血が出るのではないかと思うほどにきつく握り締めていた。
そして暫くすると、尚希の部屋から疲れたような表情をした医師が姿を現す。
太陽はその姿を目にすると、荒々しく立ち上がって医師の方へと駆け寄っていく。
「先生! 尚希は…尚希の奴…」
太陽は再び医師の両腕をつかむようにし、それを激しく動かしながら返答を求める。
「太陽君だったね…十川君が、君のことを呼んでるんだ…もし良かったら、行ってやって欲しい」
医師は太陽の質問の答えを返すことなく、そう一言だけ言うとナースステーションの方へと向かってしまった。
「…なお、き…」
太陽は医師の態度に、ひとつのことを確信していた。医師の表情は疲れていたのではなく、諦めの表情だと思った。
医療の力ではもうどうしようもなくて、最悪の結果が目の前にあると。
「な…き…」
涙が出そうになることを必死に抑え、太陽は尚希の病室へと歩く。
このまま逃げて、尚希のことを胸に秘めたまま生きることも出来る。
楽しい思い出のまま、歩いていくことも出来る。
それでも、自分は尚希と向き合わなければいけない。
尚希が自分のことを、呼んでくれるから…だから行かなきゃいけない。
大好きな…愛する尚希が、自分を必要としてくれるのならば…
逃げるわけにはいかなかった。


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